【あなたに正直に、お話させて頂きます】 2023-03-29 17:51:21 満足度96%の蒸す天ぷら、白雲まこと店主の中嶋です。 あなたに、本当の僕ことを知っていただきたくて、正直にお話させて頂こうと思い、筆を取りました。 本当は、恥ずかしくて、情けなくて、カッコ悪くて、誰にも言いたくはないのですが、勇気を振り絞って告白させて頂きます。 私の店は過去にミシュランにも掲載されて、今は遠くからも私が揚げる、蒸す天ぷらを遠くから食べに頂いてます。 多くの方は、そんな状況を見て、「順風満帆」だと思われますよね。 実は、そうではないのです。 開業当初は天ぷらは、同じ和食の中でもお寿司と違い、家庭でも簡単に食べられる料理として、認識されていたので、 まだまだ天ぷら専門店がない時に、”天ぷらの店”を開業したため、 「天ぷらは素材を衣で包み込むので、素材が衣の中で蒸されながら火が入るから、蒸し料理なんだ」 「揚げ方だけで味が違う」と、伝えると 『天ぷらなんて誰が揚げても同じだろ』と、多くの人からバカにされました。 「なぜ、違いをわかってくれないんだ!」「1度食べてもらうとわかってくれるはず」 と、唇とギュッと噛み締め、手はグッと強く握り、悲しくてブルブルと震えるぐらい悔しい思いをしたのです。 それだけではありません。 阪神淡路大震災で被災しました。 1995年、神戸の有馬温泉、兵衛向陽閣(ヒョウエイコウヨウカク)で21歳で修行中の出来事です。 激しい地鳴りと揺れが突然に襲い掛かりました。 有馬は孤立。 地震直後、被害の1番大きかった師匠の家にバイクで神戸市内まで安否確認に急ぎました。 ブラックホールみたいな真っ暗闇の世界。本当に戦争の後みたいな光景。師匠は無事で何より! その時に、師匠が自分で商売するんやったら、「もう、したらええんとちゃうか?」心の中で、若干22歳の若造が店オープン?まだまだ腕に自信がないのに?運転資金はどうするの?というような葛藤を繰り返し、頭の中をぐるぐると・・・ 師匠が、「わからんことは力になる」と言ってくれ その言葉で地元姫路に帰り店をオープンしました。まだ若干22歳の若造で店をオープン。 周りから生意気やとか若造が店してもすぐ潰れるで、と、言われ続けました。「くそッ」「絶対負けるもんか」と心の中で思いました。 そんな状況でも精一杯やってきたので、美味しいと来てくれるお客様が増え、手狭になったので少し広いお店に、2008年に移転しました。 さぁ!心機一転頑張るぞと、思った矢先にリーマンショックが・・・ せっかく移転したのに、お客様の来店が減る一方・・・ それでも歯を食いしばり、なんとかかんとか地道にコツコツと商売に励んでました。 なんとか安定してきたかな?と思った瞬間次は、コロナの来襲・・・「さすがに今回はもうダメかもしれない」 今まで長期で店を休んだことが無かったのが強制的に閉めないといけない状態になり、銀行からのコロナ融資を受けましたが結局は借金が増えただけ・・・ 俺、このままやっていけるのかな? このままだと閉店日々恐怖と向き合いながら何気にYouTubeを見てたら、 「津本式究極の血抜き」の動画を見つけました。画面に釘つけになり、動画を見ながら実践しました。 さらに、津本さんに連絡をとり色々質問して、直接教えて頂きました。 それと同時にTVでは、コロナ禍で食材がどうしたら長持ちさせれるかという「熟成魚」の特集がありました 特殊なシートに巻いて魚を”冷蔵庫で熟成させる”という商品を開発してる会社の特集でした すぐに電話をすると、一回、シートを使ってみて下さいと、嬉しい返事を頂きました。 魚を熟成させるとめちゃくちゃ美味しくなります。甘みや旨味の宝庫になるのです。 ただ、熟成をさせるにはまずは血を抜かないとダメなのです。 魚が生臭いのは血抜きが出来てないからです。 そのため、「津本式究極の血抜き」の試験を受け見事「津本式究極の血抜き公認」となりました。 この「血抜き」と「熟成」という2つの武器を手に入れた事が僕にはコロナ禍での大収穫でした。 そうや!コロナで今出来る事はまだある。 自分のスキルアップの為に良い店、ミシュランの店、普段予約の取れない店に、 行ってみようと思い今コロナ禍で予約が取れるうちに行ってみました。 いろんな店を食べ歩きました。いろんな人と出逢いも出来ました。 そうした中、自分の作ってる料理も全然負けてないと思い、自分を見つめ直す時間が出来たのです。自分が本当にやりたい料理は何か?自分が本当にやりたい店は何か? それを突き詰めるとはっきりと目標が定まりました。 ここからが、また再出発や!と、心で誓いました。 本当の魚の味を知ってもらう。お客様に心から喜んでもらう。そんな世界を創っていきたいと、取り組んでいます。 最後まで読んで頂き、ありがとうございました!